邪馬壱国 序章

           都城の邪馬壹國

                            著者  国見海斗 [東口 雅博] 

                         
<三ページ>

 後漢末の権力は凄まじい。
 
 影響力は倭国も含め、敵も味方も関係諸国全般に及んでいる。

 古代中国の権力は組織は極めて綿密、緻密にアジア地域全土にネットワークされ

ていたことが犇々と伝わる。

 無名な人物が国家の指導的立場に立つためには、関係する上層部の信任を得る

必要があったが、あの手此の手のやり口は二千年を経た今も変わりない。

 山川を駆け巡り南へ北へ東西に遠征し、国家統一を目指す野

望と内政のバランスは、目を見張る見事さを感じさせる。
 
 指導者達の心の平静を保つために、儒教思想と仏教思想が利用されたことは

当然である。

 倭国の上層部は、周代すでに代理者を対馬を通じて中国本土に上陸させ、中国

思想を受動していたことを窺い知る。

 嘸[さぞ]かし倭国も国内統一を目指して、権力闘争に余念が無かったと想起する。

 弥生時代の卑弥呼は、倭国統一手段として武力と鬼道を国民に義務ずけ階級制

により国家に奉仕させた。

 鬼道はシャーマニズムでなく、初期は山島により守られている国人の要害の地域

に至る交流を如何に重く用いるか、今で言う通信、交通の知恵で有る。

 馬で走るにしても、目印がなければ其の地に到るには時間が掛かる。

 徒歩にしても同じである。

 これらを少しでも解決しようとした手段が、国見山、鳥帽子山で有り、遺跡、遺物

でなかろうか。

<四ページ>

 道を開発するために光の反射を受け持つ鏡を利用し、相手に合図を送る無線が

銅鐸の響きであった。

 更に渡り鳥も古代高速道路の建設に貢献した。

 人馬や船は仮設資材の足場であり、北極星はベンチマークである。 古代文字が

写真の役割りである。

 今に思えば、人の歩みは健気[けなげ]である。

 此のような事柄を経験してやがて大古墳時代を迎え、権力の誇示を吹聴する。

 幾らでもあるが、其の時代の生活に即応した法律を理解すれば、古代の付き

合いは身近になる。
                                                          
                                         著 者
                                         二千年五月 吉日

追伸
 
 ここに日本の歴史の原点を付け加えて置く。

 朕聞く、諸家のもたる帝紀及び本辞、既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふと。

 今のときに当たりて、その過ちを改めずば、未だ幾年をも経ずしてその旨滅びなむとす。

 此れ則ち、邦家の経緯、王化の鴻基なり。

 かれこれ、帝紀を撰録し旧辞を討覈して、偽りを削り実を定めて、後の世に

 伝えんと欲ふ。
       
                                              太安万侶

           

 
 

目次へ戻るトップへ
Copyright (c)2000-2001 Yamaichikoku. All Rights Reserved.